手段としての会話、それ以上は落とし穴

職場の会話、それは時にどっと疲れさせ、時に緊張してた心を解きほぐす。

私はこの職場での会話は、便利なアイテム、つまり手段だと思ってます。

特に会話上手なわけでもないですし、何なら客観的に見て相当下手な部類だと思います。

「あーこの人会話つまらない人だ」ってすぐにばれるタイプです。

ただ、その代わり聞き役はある程度できたり、踏み込み具合だったりは敏感にわかります。

「これ以上会話を続けると、相手が不機嫌になる」

「ここで自分が発言したら、相手の握ってた主導権をこちら側に持ってきてしまう」

「このタイミングなら質問してもいいな」

など、パートという立場上、目上の人と接することが多いですが、そういった細かな関係調整はできているつもりです。

逆に言うと、この関係調整のコントロールを手放すと、私は職場での人間関係がうまくいかなくなると確信してます。

だから、冒頭に述べたように職場での会話というのは手段である、ということです。

でも、ここまで書いてふと気づきましたが、本音で会話したのってもういつでしょうね。高校生とかそのくらいでしょうか。

楽しく会話できる日が来たら、それはもう輝かしい時間なのでしょうね。

今回は会話というのは手段である、というテーマで書いてみました。

読んでいただき、ありがとうございました。

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